鋼鉄のオペラ
久々の芸術?反社会的運動?共謀罪?
そんなことはない。これはオペラだ。
そして、騒音藝術と呼ぶものらしい。
音。音。音。
圧倒的かつ支配的な音。
視覚と聴覚を持っていかれる。
暴力であり、支配であり、抑圧でもある。
とても怖い。
あがらうことのできない暴力に対して、どうするのか。
まさに戦争下での生き方に通じるものがある。
これは単なる善と悪との二項対立ではない。
それぞれの正義の戦いであり、一方で、思考停止の行動でもある。
何が正しいのかはわからない。
何が間違っているのかもわからない。
演者は音をかき鳴らし、
観客は意思なく、それを聞くのみ。
暴力。支配。一縷の希望。慈しみ。哀しみ。しかし絶望。虚無。
からの行動。そして、脱却=再生。
何からの脱却なのか。それは果たして正しいことなのか。本当に再生できるのか。
彼らもまた支配されていたのだ。
彼らの後ろにある、大文字の他者の存在に。
洗脳なのか。
それは何かはわからない。
わからないけど、彼らには確かに意志があった。
意志を持った上での選択なのだ。
観客は、どうだ。いつまで無関心気取っているのか。
それともそれが限界なのか。
思考停止の逃げ。自己家畜化。
これが戦争のリアルなのかもしれない。
戦争なんてわかんないなんて言ってられない。
いつその状況になるのかはわからないのだから。
終わった後の、一気に現実に引き戻される感。
知ってる世界に戻れたことへの安堵。
果たしてそれでいいのか。
30年の時を経て、今また問いかける命題。
これは行くべきでしょう。
明日まで。
世界を変えるためではなく、
世界に変えられないために。
以上